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2017年3月 1日 (水)

パトロール・レポート①

下の図は船工10の船団がベラワンを出港してからの航路と、英軍潜水艦スパイトフルの動きを示したもの(拡大可)

Photo_20220529103301




















uboat.net のサイトでは、パトロール・レポートの要約しか見ることができなかった。もっと詳細を知りたいと思い、原本のコピーを取り寄せることにした。
The National Archives からの郵送は若干時間を必要としたが、潜水艦側から見た攻撃の全貌を知ることができた。
なお、HMS Spiteful の艦歴等は省略し、父と関わりのある部分だけに限定して見る。

1944(昭和19)年2月29日、スコットランドのホーリー・ロッホ(Holy Loch)泊地を出発したスパイトフルは、カサブランカ~マルタ~スエズ運河を経て、4月セイロン(スリランカ)のトリンコマリー(Trincomalee)に着いた。極東へ来て1回目のパトロールは5月14日~6月5日で、6月1日にはアンダマンのポートブレア沖から島へ砲撃を行っている。

2回目のパトロールの期間は、父と関連する6月21日~7月15日である。
このパトロールの主要地域は、スマトラ島北東部のマラッカ海峡北部であった。艦長の回想記によれば、この地域は「H」といわれていた。つまり Hell(地獄)である。水深が浅く、航行が非常に難しい危険な海域だったからである。

パトロール・レポート 
6月24日~27日(要約)
サバン島北方を通り過ぎ、26日の21:30-22:30にかけて、4300K/cの日本語放送が次第に大きく聞こえてきた。翌日になると、スマトラ島に近づくにつれて数多くの漁船が視認できた。

6月28日(要約)
05:25 
潜航。アル湾哨戒。灯台船・水路標識などの位置と海図を照合。
14:00 
7隻の非常に小さな舟艇船団を確認。位置は
灯台船の南5000ヤード。
2機のKATE(97式艦攻)が随伴し、連日計画的に沖合で上空掩護。


このKATE(97式艦攻)は、父の回想では昼間30分毎に船団を哨戒していたとのことであり、発見された7隻の小さな舟艇船団は父の船団の一部であったと考えられる。
なお、哨戒機がKATE(97式艦攻)だと記しているが、調べてみたものの、いまだに航空隊名や正確な機種はわかっていない。

そして翌日、スパイトフルはさらに多数の船からなる船団を確認し、遂に魚雷攻撃を敢行する。

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