陸軍特殊船「摩耶山丸」
岐阜から宇品に戻って訓練を続けていた父に、突然原隊復帰の命令が下った。
≪突然のことであり、我々は驚く間もなく帰り支度を急いだ。往路は鉄道だったが、帰りは大きな船に乗ることになった。
その船とは、特殊船「摩耶山丸」約1万㌧である。今思い出しても、とにかく大きくて新しい船だという印象しかないのである。宇品出港は6月9日であった。
翌10日には呉淞に着いた。下船できるだろうと期待していたが、なぜか私は内地へ行った下士官のなかで一人だけ船に残され、上陸用舟艇などの機材を積み込む係を任されたのである。しかも我が連隊要員の乗船についても指示せねばならず、呉淞に置いたままだった私物なども同僚に運んでもらうことになった。今思うと、出港をよほど急いでいたか、あるいは係の将校が着任していなかったのかもしれない。とにかく地獄のような忙しい作業だった。≫
陸軍特殊船「摩耶山丸」、その船は私にとって最も印象に残る船名であった。
小学生の頃、父の話してくれた軍艦は、駆逐艦「吹雪」、戦艦「霧島」、そして巡洋艦「足柄」の3隻だった。これらの軍艦は小学生当時も写真や絵で見ることはできたが、しかし父の乗った特殊船「摩耶山丸」については、どんな形をした船なのか全く見当もつかない謎の船であった。私が摩耶山丸について調べ始めたのは、つい5年ほど前であり、上田毅八郎氏の船舶画として見ることはできても、いまだに写真は見つかっていないとのことである。ただ、その設計図は「アジ歴」で確認できるし、幾つかの書籍にも掲載されている。
私が今関心をもっているのは、摩耶山丸が宇品を1943(昭和18)年6月9日に出港しているという記述である。おそらく戦友会誌などで確認した日付であろうと思われるが、私があらためて調べ直してみると、呉淞着は6月10日だが、宇品出港は9日ではなく、5月であったらしいのである。このことについては、まだ調査は続けているので、あらためて触れてみたいと思う。
*摩耶山丸については、次の二つの記事参照
「摩耶山丸のこと」→1 と →2
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