武装解除・悲哀・罵声
武装解除は、クアラクブで行われた。
推測ではあるが、父たちの連隊を武装解除したのは「インド軍第25歩兵師団」だと思われる。ポートセッテンハム付近に上陸した英連邦軍の部隊である。
武装解除は9月28日であった。父は次のように回顧している。
≪到着後、我々は広場に集合させられ武装を解除された。式典は物音ひとつしない静かなものであった。式後、我々は裸にさせられて私物の検査が行われ、下着の褌までその予備一切を取り上げられた。ものは人絹(スフ)だったが、監視のインド兵は何かの絹製品と思ったらしく、彼らの中には、ニヤニヤしながら頬ずりをし、スカーフのように首に巻いて得意げにしている者もいた。その姿を見た我々は、思わず下を向いて笑いをこらえるしかなかった。≫
その後、70㎞ほど徒歩でクアラルンプルに移動させられたのであるが、一般邦人も含まれていたため歩みは遅く、予定時間に着かねば捕虜になるとの指示があったので、ほとんど徹夜での移動だったようだ。
≪この徒歩移動で私は自転車の運搬を兼ねて、伝令任務をしながら隊列の前後を往復していた。しかし山道が多く、自転車を引きながらの移動が大半であった。だが到着直前に、突然インド兵に銃で胸を突かれ、激しく押し倒されたのである。面食らっていると、インド兵は自転車を持って行ってしまった。何も抵抗できない自分が情けなく、降伏の惨めさを初めて思い知ったのである。
クアラルンプルのスンガイベシ駅に到着し、貨物列車に乗る準備をしていたとき、駅に集まった群衆が我々に石を投げ始めた。あのときの「バッキャロー」という罵声を私は今も忘れることができない。≫
列車の行き先は、マレー半島南部の「ラヤンラヤン」であった。
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