水上特攻部隊の編成①
父の回顧によると、1945(昭和20)年に入ったころの記憶として次のようなことが記されている。
・軍鳩(軍用伝書鳩)の活用実験
・「大発」の航行距離計の試作
・高速艇への魚雷装備の計画
これらのうち軍鳩の活用と距離計の試作は自分が具申したと書いている。しかし適する鳩が十分見つからず挫折し、距離計は古時計を利用して試作品は完成したものの、実用化前に降伏となった。また、高速艇への魚雷装備の試作のため、父の中隊から何名かがシンガポールの海軍基地に派遣されたという記述があるが、結局間に合わなかったものとみられる。
むしろ当時のことで私が最も関心をもったのは、父の連隊から「水上特攻部隊」要員が選抜・派遣され配備されたことである。おそらく父の第2中隊には直接関わることではなかったと思うが、次のように記している。
≪1945(昭和20)年4月、船舶工兵第10連隊から約70名が選抜され「水上特攻部隊」に編入された。この部隊はタイピンで編成された4つの中隊から成り、ひとつは海軍部隊であったとのことである。当時の私は、この水上特攻部隊の存在をほとんど把握できていなかったが、戦後になり、戦友会などでその詳細を知ることになった。しかし、英連邦軍の大規模な反攻は当時すでに予想されており、決戦になれば誰もが体当たりしか反撃手段はないだろうと思っていたことだけは事実である。≫
この数行の記述以外に父は「水上特攻部隊」のことを書いていないが、戦友会誌には、連隊から派遣された特攻部隊の詳細が記されていた。その特攻部隊が編成・配備完了したころに降伏となり、実戦はなかったものの、その存在は私の大きな関心事となった。
そこで、この水上特攻部隊について詳しく調べてみようと思い立った。なぜなら、本来は輸送任務や上陸掩護が主であった船舶工兵が、やがて戦闘任務を担い、ついに特攻部隊へと変貌してゆく過程が見えてきたからである。なぜなら全軍特攻化・国民一億総特攻へと突き進んだ戦争末期の日本の姿を知るための、ひとつの手がかりとなるかも知れないからである。
次回からは、戦友会誌に記された「水上特攻部隊」について記すことにする。
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