« パトロール・レポート➂ | トップページ | ポートセッテンハム »

2017年3月 5日 (日)

艦長の回想記のこと

Photo_2

 

Dsc01729kk_3

*左が艦長の回想記、右は乗員の集合写真だが、おそらく父は艦砲射撃をした数名を双眼鏡で見たのではないかと思う。
  書名: "It's Not the Ships.. "  Frederick H. Sherwood with Philip Sherwood

艦長は1914年生まれで、2013年に亡くなられていた。彼の回想記が出版されていることを知ったのは、艦長の名前がわかったときであった(2015年)。回想記をまとめたのはご子息のフィリップさん(カナダ在住)であり、自伝・社史などの編集者の仕事をされているとのことであった。
本の注文の際、潜水艦に攻撃された父の回想をフィリップさんに伝えたところ、攻撃したのはこの潜水艦で間違いないとの返事があった。彼は「驚きました。ほんとうに世界は小さいですね。戦後私たちの父親が平和に余生を送ることができたのは幸せなことでした」とも述べておられた。約70年を時をへて、二人の子どもが再会できたこと、父親の記憶が互いに結びつけられたことに、今なお不思議な縁を感じている。なお、父の機帆船を攻撃したときの詳細は2頁にわたって記され、艦内の様子が手に取るようにわかり、臨場感あふれるものであった。
2020年3月追記:艦長の回想記の内容については、最近の記事参照 →★1及び→★2

潜水艦の攻撃に遭遇したことは、父にとって戦時中唯一ともいえる命の危険を感じた出来事であった。父は、この一連の潜水艦攻撃について述べた箇所の最後に次のように記した。潜水艦は味方機に撃沈されたと思っていた父は、今何を思っているだろうか。

あの魚雷がもし命中していたら、と考えると今でも冷や汗が出る。観光で船に乗ると、いつもどことなく落ち着かない気分になるのは、覗き込んだ海の中に、あの魚雷の不気味な白い航跡が幻のように見えてしまうからである。潜水艦からの攻撃は、戦時中私が最も肝を冷やした経験であり、その一部始終は今なお鮮明に記憶に残る出来事なのである。

これは悲惨な戦争の一断面にすぎないかもしれないし、戦死者も出なかった小さな戦闘でもあった。互いの攻撃が偶々「失敗」したことで両者はかろうじて生き延びることができたが、マラッカ海峡においても、現に父の連隊で潜水艦攻撃によって戦死した方があり、あるいは船員や現地の漁民の方にも犠牲者は多かったのである。それは決して忘れてはならないことである。
次回からは戦争末期の回想を扱う。


|

« パトロール・レポート➂ | トップページ | ポートセッテンハム »

Ⅵ マラッカ海峡」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« パトロール・レポート➂ | トップページ | ポートセッテンハム »