大移動
8月15日から月末まで、父はポートセッテンハムで事務作業に追われていた。そうしたなか、日本軍に対して連合国はその上陸地点から離れるよう命じている。このため父の連隊も移動することになり、約2か月間各地を転々とすることになった。
この2か月間の移動について、父の記憶は曖昧だった。
そこで戦友会誌をもとに整理した。
9月 1日 連合国との交渉のための連隊要員を一部残し、連隊の大半は
列車でクアラルンプールに移動。
9月14日 列車にてタンジュンマリムへ移動。
9月28日 徒歩でクアラクブへ移動。武装解除。
10月?日 クアラクブから輜重車、荷車を曳き、一般邦人も含め
クアラルンプールまで徒歩移動(約70㎞)。
10月 8日 市の南部スンガイベシ駅から列車で南のラヤンラヤンまで移動。
次回は武装解除の様子をみる。
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