水上特攻部隊の編成②
「連絡艇隊」(水上特攻隊)について、父の遺した戦友会誌等の記述は概略次のようなものであった。
・部隊は第1~第4の4ケ中隊で編成されていた。
・第4中隊だけは海軍が編成していた。
・船舶工兵第10連隊から選抜された隊員は、第3中隊に配属された。
・第3中隊の秘匿基地はポートディクソン北のタナメラに設営された。
第3中隊について、その編成過程を年表にすると―
1945(昭和20)年
3月20日
船舶工兵第10連隊から、70名が選抜され舟艇特攻隊要員となる。
3月23日
基幹要員7名が、シンガポールの東にある「ベンゲラン」へ派遣される。
4月 1日
水上特攻部隊4ケ中隊は「タイピン」の第29軍司令部営庭で石黒貞蔵
中将の訓示を受け、全員ペナン島へ移動。夜間視力増進と船暈防止
の訓練を受ける。
以後、訓練は約2か月続いた。
6月?日
4ケ中隊はそれぞれの秘匿基地に移動。のち、ベンゲランで訓練を受
けていた基幹要員も各部隊に合流し、秘匿地で設営・訓練が始まる。
第3中隊の秘匿地は、マレー半島中部のタナメラに設営した。
8月15日以降
降伏により、特攻艇の破却、基地撤去ののち原隊復帰。
第3中隊の大半はポートセッテンハムへ戻る。
公刊書籍では、益田善雄氏の『還らざる特攻艇』(霞出版社 昭和31年初版・昭和62年改訂版)の末尾に、手記のかたちで「シンガポール水上特攻゛初桜隊゛」という文章が第4中隊の小柳海軍少尉によって書かれている。
その他には、元塩尻市長の小野光洪氏が記した『私の半生』の「4 水上特攻の命令」のなかに、自分が第2中隊の所属であったことが述べられている。(信濃毎日新聞松本専売所WEB 私の半生 タウン誌情報掲載 第5号)
*4つの部隊(中隊)の秘匿基地は、戦友会誌及び他の資料から判断して、次の4箇所と思われるが、具体的地名が不明のものもある(上掲地図参照 Google地図をもとに作成)。
第1中隊 アロースター沿岸(場所不明)
第2中隊 スマトラ島東海岸(アルア諸島付近?)
第3中隊 マレー半島西海岸ポートディクソン北のタナメラ
第4中隊 ビンタン島南西(ドンパク島)
さて、次回は、この連絡艇隊(水上特攻部隊)の編成命令文書を見る。
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