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2017年4月21日 (金)

『リババレー演芸史』

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『リババレー演芸史 想い出は星の如くに』
栗田まさみ著 加太こうじ装幀 新泉社 1970年

この書と父の回顧をもとに、収容所につくられた演芸場について少し記す。

内地帰還の日はいつになるかもわからず、重労働が続くだけの毎日が続いていた。殺伐に流れがちな収容所の日常に、わずかな時間でも慰めの時間があればと考えた人々がいた。
リババレー作業隊に父が派遣されたのは1946(昭和21)年3月であったが、翌4月下旬には隊の中に「第80中隊(演芸中隊)」がつくられ、演芸場の設営や公演内容の計画が立てられた。翌5月9日には演芸場が完成し、11日に第1回公演が行われた。英軍との交渉で設営要員は確保したものの、わずかな人数しかいないため、作業から帰った多くの隊員が協力したという。
作業隊会報で皆に協力が呼びかけられ、舞台装置や演劇などに必要な材料集めが行われた。板切れ、レンガ、布切れ、馬の毛、現地娘の使いの残りの白粉、紅、古釘、ひびの入ったレンズなど、廃材やゴミの類いを隊員が毎日持ち寄ったという。
父たち元工兵であった者が演芸場の設営にあたった。
とくに我々工兵であった者の活躍はほとんど神業といえるようなものであった。舞台の奈落に通じるオーケストラピットの区域も確保し、設営には一か月もかからなかったと思う。
この演芸場では、昭和22年の夏まで合計35回の公演があった。私は演芸場の完成から2か月ほどで転出したが、ほぼ1~2週間毎に2日間にわたり、オペレッタ、時代劇など多彩な公演が行われた。
八千人近い隊員の中には、平時に音楽家、画家、演劇関係者だった者もいた。とくに廃材を利用した楽器作りは工夫が必要だった。バイオリンはブリキ製、ギターやマンドリンはベニヤ板、コントラバスの弦は太い針金に銅線を巻き、ドラムは天幕の布を利用した。楽譜や脚本を書くための紙は作業で拾った紙切れを使ったり、ゴミを利用して衣装やかつらをつくったという。第1回の公演でシネオペレッタ「花祭狸御殿」を演じたとき、踊り子(海軍の十代の若者)が多数出演したのを見た監視のインド兵が、彼らを女子と見間違えて公演後面会を強要したとか、或る女形がインド兵から一斗缶に入った石鹸のようなものをもらったら、実はチーズだったという話もあったという。
Dsc02062vv_5隊員にとって、公演でのひとときは、いつになるかわからない帰還の日を待ち侘びる望郷の思いを慰め、日々の作業の疲れを癒やしたにちがいない。だが、リババレー演芸場の公演は、次第に内地帰還が進む中、1947(昭和22)年8月の第35回をもって静かにその幕を閉じた。

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