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2017年12月 7日 (木)

工兵第26連隊 (4)

Photo_5
工兵二十六観音像の前に咲く山茶花
(愛知県田原市・蔵王山南面)

南方での戦いが熾烈を極めつつあった1942(昭和17)年12月、父の独立工兵第53大隊は上海で「船舶工兵第10連隊」へと改編され、やがて南方に派遣されることになり、海で戦う陸兵となったのである。金槌の父は、自分がまさか海を戦場とする兵士になろうとは夢にも思っていなかったであろう。1943(昭和18)年6月、父は上海・呉淞からシンガポールに着き、8月になってスマトラ島ベラワンに駐屯し、英軍と対峙していた。

他方、第26師団工兵隊となっていた部隊は、再び「工兵第26連隊」として改編され、1944(昭和19)年7月、北支の駐屯地を出発した。7月22日満支国境を通過し、8月5日釜山港を出帆することになった。行き先はフィリピンであり、連隊長は品川彌治中佐であった。
大岡昇平は『レイテ戦記』を書こうとした大きな理由について、『ダナオ湖まで』のなかで述べている。
 「『レイテ戦記』の目標の一つは、二十六師団の奮戦の実際を書くことにある。」
もともと何かと評価の低かった第26師団のレイテでの戦いぶりを、彼は米軍史料などを調べるなかで再評価すべきだと考えたからだ。
だが歩兵とは異なり、工兵の活動はどの戦記にも詳しく描かれることはない。『レイテ戦記』においても、工26の行動は数行ほど記されているだけである。ましてこの師団の生還者は極々僅かであり、工26を含む各連隊の最期の様子もいまだに大きな謎を含んだままなのである。

「工兵第26連隊戦歴碑」の最後には、次の文が刻されている。
「昭和十九年七月比島派遣を命ぜられた部隊は再び工兵第二十六連隊に改編のうえ第十四方面軍の戦闘序列に入り、同年十一月連隊主力はレイテ島オルモック(一部はセブ島)に上陸してブラウエン攻撃作戦に参加。 ブラウエン西方十粁附近の戦闘において優勢なる敵の包囲攻撃を受け勇戦敢闘。同年十二月十六日から二十二日までの間に連隊長以下壮絶なる玉砕を遂げた。」

次回は、レイテ島の戦いの僅かな記録に残る工26の足跡をみる。

 

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