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2018年1月 4日 (木)

米軍機墜落事故のこと

それは60年前、飛騨高山に住んでいたときのことである。
家族で米軍のレーション(缶詰)を食べた、という記憶だ。最近になって記憶を確かめるために、その飛行機墜落の事故のことを調べた。

高山は、私がまだ2歳だったときから7歳の夏まで暮らしたところだが、父は当時30代半ばであった。事故は私が4歳の冬の出来事だった。
その夜、父が雨でずぶ濡れになった冬の制服コート姿のまま、家に帰ってきたのである。父が玄関に入ってきたときの大きな黒い人影と雨音は強く記憶に刻まれている。
事故は、1957(昭和32)年1月29日に起きた。米軍の飛行機が墜落した場所は岐阜県の大野郡で、搭乗員1名が死亡したらしい。大野郡は高山からは西へ30㌔ほどのところだが、米軍機はおそらくその山中に墜落したのだろう。雪や雨などによる悪天候が原因だったと考えられる。
食べた缶詰は、事故処理に駆り出された父が米軍から貰ったものだった。缶は幾つもあったけれど、その中身のことはもう記憶にない。たぶん母は突然の「食糧補給」によろこび、幼い私は珍しい食べものに歓声をあげていたにちがいない。

この事故は父がシンガポールから帰還して10年目の出来事だった。
当時は朝鮮戦争が停戦になってからまだ数年しか経っていない。資料を調べていて驚いたのは、日本国内で起きた米軍機事故の多さである。とりわけ1950年代はひと月に5~6回起きていたこともあった。

あれから60年、とりわけ米軍機が墜落したというニュースのあるたびに、ずぶ濡れになっていた父の姿、そしてレーションのことを思い出すのである。

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