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2018年4月18日 (水)

立川へ

各務ケ原飛行場、そして立川飛行場がつくられた時代背景や経緯は題材として興味深いが、それはあらためて別の記事で扱うことにする。
これからしばらくは、石塚さんたちが移ってきた当時の立川飛行場、さらにそれが現在はどうなっているのかを見てみたい。

1922(大正11)年10月30日岐阜で第二大隊との告別式が行われたあと、11月10日になって、各務ケ原で訓練を受けた石塚さんたちの飛行第五大隊が立川へ移ってきた。当初訓練を受けた78名の他に増員があって、軍属を含めると130名余りになっていたという。まだ航空兵科(1925年以降)がなかった時代であり、このときの大隊長は桜井養秀砲兵中佐である。兵の大部分は工兵であった。
飛行第五大隊が立川駅前に集結した姿を写真で見ることができる(下)。
町民は挙って歓迎し、夜には提灯行列が町を練り歩いた。町で暮らす大半の人たちにとって、部隊移駐は地元の将来の繁栄を約束する大きな出来事だと受けとめられていたのだろう。

Photo_12
     立川駅前に集結した飛行第五大隊立川市HPからの転載
     (
この場に石塚喜秀さんも整列していたはずだ。)

前回引用した石塚喜秀さんの文章の続きをみる。

・・・立川の新兵舎に移れり。此地、東北に関東の曠野広け、西南に多摩の清流。相模秩父の連山を、越えて遙に芙蓉の秀麗を仰ぐ。吾等は此処に誠を磨き技を尽して諸任務を全うし、時に共に伊勢神宮に詣でては二見が浦に泳ぎ、或は成田不動に詣で、大田原に遠征しては塩原温泉に浴し、仙台に至り松島を訪ひ、或は未曽有の震災には戒厳令下に入りて空中連絡並びに宣伝の重任を果せり。今や当隊の元祖兵としての任終り、将に飛行第五大隊と袂別せんとす。
さらばさらば懐しき我隊よ!!我戦友よ!!
諸君の長き星霜中、血湧き肉躍る兵営生活を追慕するの時、このアルバムを繙かば、必ずや座臥寝食同椻の契を結びし戦友、追慕の情勃々たるものある可きを信ず。希くは諸兄、之を座右に存し、以て永く記念たらしめんことを。
大正十二年十一月武蔵野原にて   石塚喜秀
 」

はじめに立川の風土や周辺の風景を描いている。多摩の清流、秩父連山、秀麗富士、軍務の合間に訪れた伊勢の風光、成田不動、塩原温泉、あるいは仙台・松島のことを回顧している。各務ケ原のときと同様、立川に移ってからも演習は全国各地で行われたようである。当時の飛行機では航続距離が短いため、機は分解して貨車で運ぶこともあった。とりわけ在任中には、大正12年9月の関東大震災戒厳令下の活動も印象に残っていたようだ。

次回からは、立川時代の「飛五」を詳しく探る。

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