満蒙開拓青少年義勇兵
満蒙開拓平和記念館 駐車場にて
(長野県下伊那郡阿智村駒場) 2018年10月
だいぶ前のことになるが、実家を訪ねたとき母が或る本を熱心に読んでおり、『大地の風』(玉田澄子著)という題名で、母の実家と同じ郡上郡和良村(当時)出身のひとが書いたものだという。和良村など郡上の村々から旧満洲へ開拓団として渡ったひとたちのことを自身の体験をもとに描いたものだったが、借りたまま最近まで開くことなく書棚に眠り続けていた。
ところが数年前に母方の叔父が亡くなったとき、あることを思い起こした。それは、母とふたつ違いだった叔父が14歳のとき、和良村から満蒙開拓青少年義勇兵として渡満していたことだった。すぐさま玉田さんの本を読んだり開拓団について調べるようになった。当時ちょうど長野県に「満蒙開拓平和記念館」がオープンしたころでもあり、いちどそこを訪ねたいとおもっていた。
そして先日、ようやく記念館を訪ねることができた。
自宅から車なら中央道をつかって1時間余りの長野県阿智村にある。長野県から送出された開拓団員数・義勇軍隊員数は、合わせると3万7千人余りになり、全国で約27万人あった送出員数(計画含む)のうち県別では最も多い。そうした背景もあって、この記念館は2013年に民間施設として開館した。なお、自らも開拓団員であり、戦後は中国残留者の帰還問題などに尽力した山本慈昭所縁の「長岳寺」は記念館の南隣にある。
建物はけっして大きくはないし、あれだけの大がかりな事業の歴史や教訓を後世に伝える記念館としてはまだ不十分かもしれないとおもった。しかも山間の地にあり、必ずしも交通の便が恵まれているとはいえない(ただし中央道:飯田山本ICができて便利になった)。
けれども2時間ほどいたあいだ、平日にもかかわらず団体も含めた訪問者が絶えなかったし、資料室では何人もの方が肉親・親族のことを調べておられた。民間施設であることの利を活かし、館員やボランティアの方々の姿勢や努力が多くのひとたちを引き付けているのだろう。記念館の寺沢秀文氏の書かれた文章を読み返すとその感を強くする。開拓団のことは、調べれば調べるほど多くの課題や問題を含んでいるのではないか、そんな感想をもった。
記念館のセミナー室でビデオを見た。義勇兵、開拓団員、残留孤児だったひとたちが、穏やかな顔で淡々と当時のことや戦後の歩みを語っておられたけれども、その話をほんとうに理解し受けとめるだけの力は、やはりまだ自分にはない。叔父の足跡を辿ることから、まずはじめなければとおもったのである。
《追記:岐阜県の開拓団・義勇軍は、約1万2千人だった。母・叔父のいた和良村も、一家をあげて開拓団に参加したひとは多い。
叔父は、昭和19年に14歳で義勇兵となり、茨城県の内原、渡満後はハルピンで訓練を受け、長春(新京)で敗戦を迎えた。敗戦後1年ちかく留め置かれ、21年夏に帰還しているが、当時のことを叔父から直に聞く機会はなかった。それでも母は叔父の苦労を断片的にぼくに話してくれたことはあった。》
写真
すべて2018年10月下旬撮影。
参考
『岐阜県満洲開拓史』 岐阜県開拓自興会 1977(S52)年
『満蒙開拓青少年義勇軍の旅路』 旅の文化研究所[編] 2016年
『満蒙開拓平和記念館(図録)』 改訂版 2018年
『満洲開拓民入植図』 (記念館作製)
『キメラ -満州国の肖像』 山室信一 中公新書 2004年
『大地の風 女が辿った敗戦-満洲の彷徨』 玉田澄子 ハート出版 1991年
『大地の花 私たちの〈戦争〉体験をこえて』 玉田澄子 春秋社 1999年
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