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2018年11月27日 (火)

たかす開拓記念館

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前回は長野県阿智村の「満蒙開拓平和記念館」についてふれたが、岐阜県にも同様の「たかす開拓記念館」(郡上市高鷲町大鷲)がある。開館は2年前の2016年で、こちらは公営となっている。先日ようやく訪れることができた。

この記念館は町民センターのなかにあり、戦後の「ひるがの」開拓も含めた高鷲町の郷土史も扱っている。満蒙開拓についていえば、当時の郡上郡から送出された開拓団の全体像がわかりやすく説明・展示されている。ただし限られたスペースという制約がある。当時の時代背景や国策の詳細を見学者自身がさらに調べ、考えなくてはならないだろうが、そのきっかけを得るための、とくに地元の小中学生にとっては大切な場所といえる。

展示のなかで最も目を引いたのは、「日本の土を踏めなかった人々」のパネルだった。郡上の開拓団現地死亡者すべての氏名が刻されており、ここに、これがあることに大きな意味を感じとることができる。あの「満蒙開拓団・義勇軍」とはいったい何であったかの理解は、このひとたちの名を自分の目に焼き付けることからまず始めなければと思ったのである。また、「義勇軍として大陸に渡った人々」のパネルには、当時の郡上郡から義勇兵に応じたひとの村ごとの人数が示されていた。叔父のいた「和良村」は18人とあった。

展示全体を見てあらためて感じたのは、満洲だけでなく、そもそも「開拓」ということが高鷲町の歴史と切り離せないものだったということだ。
明治末には、高鷲から北海道の下川(名寄原野)に開拓民が移っており、さらに昭和になっての満蒙開拓、そして戦後の現地高鷲ですすめられた「ひるがの」開墾など、この地域の人たちが「開拓・開墾」と深く関わってきたことを実感できる展示となっている。
現在の高鷲町を支えているのは「三白産業」(酪農・スキー場・ひるがの高原大根)といわれているが、その礎を築いてこられたひとたちの努力と苦労は、とうてい一言では語れないものがある。

次回も満蒙開拓と岐阜県との関わりを考えたい。

参考(前回の記事で示したもの以外)
郡上の満洲開拓団』(郡上市教育委員会) 2017年
語り部たちー』(高鷲町文化財保護協会)   2016年
          (制作協力岐阜県郡上市、北海道下川町)

 

 

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