英軍潜水艦と父
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OFFICERS AND MEN OF THE SUBMARINE HMS SPITEFUL. 24 FEBRUARY 1944, GREENOCK.
description: Officers seated, left to right: Warrant Engineer H J Hard, RN, Lieut H Rutherford, RN, First Lieutenant; Lt Cdr F H Sherwood, DSC, RCNVR, Commanding Officer; Lieut W J C Davies, RN, and Sub Lieut R C Weston, RNVR.
1944年6月29日と30日、マラッカ海峡で英軍潜水艦が父の乗る機帆船を二日間にわたって攻撃したことは以前触れた。
*2017年2月13日~3月5日の記事参照→(Ⅵ マラッカ海峡)
それは父が戦時中最も身の危険を感じた戦闘であり恐ろしい体験ではあったろうが、こうしてその潜水艦や乗組員の姿を目の前にすると、言葉ではすぐに表せない感慨が込みあげてくる。この潜水艦の正体を探り当てたとき、父はもう旅立った後だった。
魚雷攻撃に失敗した日の翌日、潜水艦は浮上して艦砲射撃を試みた。父はその潜水艦のデッキで砲撃準備をする水兵を双眼鏡で目撃している。それは上の写真に写っている乗組員のなかの誰かであったにちがいない。
友軍機が父の船団を哨戒していたことや、魚雷の深度設定のミスのおかげで、潜水艦の攻撃は失敗した。魚雷の設定深度がもう少し浅ければ、あるいは哨戒機に発見されずに艦砲射撃がそのまま続いていたら、船は沈み、父は命を失っていたかもしれない。そう考えると、自分がこうして彼らの写真を見ていることが不思議なことに思えてくるし、数年前にSherwood艦長の子息と連絡がとれたときも互いに同じ感慨をもったのである。
なお写真は1944年2月24日にスコットランドの Greenock で撮影されている。2か月後ドイツ敗北が確実になった同年4月、潜水艦スパイトフルはインド洋へ向かい、当時のセイロンを拠点にして主にマラッカ海峡で活動していたのである。
次回は艦長の回想記に記されたこの攻撃に関わる箇所を見る。
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