スマトラ島の家のこと
久しぶりにここへ来て、ゆっくり見たいものがあった。
この建物を初めて見たのは随分前のことになる。場所は犬山市にある「野外民族博物館リトルワールド」。(写真はすべて拡大可)
これはインドネシア・スマトラ島からここに移築された家である。島の北部で水稲耕作を営むトバ・バタックといわれる民族の大きな高床式の家は、もともと戦後間もない1947年に現地で建てられたものだが、のちに犬山のリトルワールドへ移築されたのである。
家があった場所は、実は父の連隊が戦時中に1年ほど駐留していた「メダン」の南側に位置し、地図では民族の故郷「トバ湖」も確認できる。
興味深いのは、家の横壁に描かれている何枚もの絵のことだ。これらの絵を初めてみたとき、バタックの人々が戦前・戦中・戦後に遭遇した出来事と兵士としての父の体験とが重なり、或る感慨が胸を過ったのである。それが忘れられず、機会があればまた来たいと思っていた。
絵は集落の様子、 村に起きた幾つかの出来事が描かれている。それらを子孫に伝える意味もあってこうした絵(絵巻物に近い)が描かれたのだと思う。たぶん家の主が19~20世紀に体験したことがもとになっているのだろう。
絵は、集落や人々の様子、スマトラ(インドネシア)を支配していたオランダ人、オランダ軍と日本軍の戦いの場面、オランダから独立したころの様子(なお正式な独立は建築後2年あとの1949年)などが断片的に描かれており、時系列はなんとなく理解できるものの、筋書きがあるようには見えない。だが、ここに住む人々とインドネシアが経験したひとつの時代の移り変わり、そして現地の人々がそれぞれの出来事をどう実感したかが素朴なタッチで描かれている。
絵をすべて載せることはできないので、オランダ軍、日本とオランダの戦いの様子、戦後の独立の様子が描かれたものだけを選び、絵のある横壁の下にある簡単な解説を参考にしてコメントを加えた。
右:拳銃を持つオランダ兵。下:整列するオランダ兵など
左:洋装の男女と伝統的衣装の男性。
日本軍の戦闘機を撃つオランダ軍
日本軍落下傘部隊の兵士を撃つオランダ兵
右:家でお茶を飲む独立後の人々の様子。
左:オランダ兵と「独立・解放」を表す Merdeka の言葉。
久しぶりにこの絵を見ながら、父の連隊の戦友会誌のことを思い出した。
そこにはスマトラ・メダンに駐留していたころの様子を回顧している文章も幾つかあったはずだ。