将校集会所(1)~ 飛五と各務ヶ原 ~
去年の11月、航空自衛隊岐阜基地恒例の「航空祭」に行った。
岐阜基地・各務ケ原飛行場の歴史については前に少し触れたことがある。
飛行第五戦隊の創設にも関係し、私の叔父が戦争末期に教導隊に在籍していたこともあって、やはり特別な意味をもつ飛行場である。当時の建物がいくつかまだ残っているので、改修(昭和63年)された将校集会所(大正9年)だけは是非見てみたいとこれまで思っていた。ふだんは申請が必要であるが、航空祭のときだけは一般公開で基地内を見学できる。
建物の南に樹木が植えられているため全体像はわかりにくい。東側からは、エントランスだけでなくバルコニーも垣間見える。ネット上では、内部を見学された方のレポートが幾つも拝見できるので、自分としては外観を見ただけで十分満足だった。
全景:正面に岐阜基地殉職者慰霊碑が建つ。
エントランス:大正期の建築様式を伝える。
飛五との関わりについて少し触れる。
大正期に各務ケ原の飛行第二大隊で訓練を終えて創設された飛行第五大隊(その後連隊→戦隊へ)は、立川や柏へ移ってからも各務ケ原との関係は続いた。昭和10年代に入り、一時期だけだが飛五が教育部隊として各務ケ原に移ったこともある。
また、開戦間もない昭和17年春、新しく配備予定の戦闘機を受領するために、各務ケ原飛行場へ飛五の隊員が出かけたことが記録として残っている。その戦闘機は、各務原の工場で組み立てられたキ45(「屠龍」)だった。
飛五の最後の戦隊長だった山下美明氏は、昭和17年当時、一時期中隊長として飛五に在任したことがあり、そのとき初めて飛五に二式複座戦闘機「屠龍」が配備された。彼はその配備の様子を戦後に回想している。
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