« コメントへの対応 | トップページ | 将校集会所(2)~ 飛五の機種改編 ~ »

2020年2月18日 (火)

飛五と映画『進軍』 1930(昭和5)年

前回の記事「将校集会所」の続き「その2」を書くべきところだが、少し後回しにして、昭和初期の「飛五」にもかかわる或る映画の備忘録

数年前から岐阜空襲、そして同時に飛行第5戦隊の足跡についても史料を探していた時、昭和初期の立川飛行場を舞台にした映画がつくられていたことを知った(『立川飛行場物語』三田鶴吉著)。それは1930(昭和5)年に公開された『進軍』(監督:牛原虚彦)で、主演は鈴木傳明、ヒロインが田中絹代だった。まさに飛行機の時代の幕が開いたころの作品である。
戦後三田さんは田中絹代に当時の思い出を聞きに行ったが、すでにこの映画の記憶は薄れていたらしく、ほどなく彼女も亡くなられた。


三田さんは、立川(飛行場)が映画の舞台だったと書いている。撮影には陸軍省が協力し、各地の飛行場、飛行学校などもロケ地となったのだろう。冒頭のクレジット・タイトルを見ると、「飛行第五聯隊」、「気球隊」、「飛行第一聯隊」、「飛行第七聯隊」、「所沢、下志津、明野」の各飛行学校、その他にも師団や幾つかの部隊名の文字がみえる。たとえば主人公が出征する場面では、千葉の「下志津飛行学校」の本部・正門が映し出されている(本部建物などから推断)。
映画はサイレントだが、中間字幕にヒロインの兄が「飛行第廾五(25)聯隊の大尉」の台詞がある。もちろん架空の飛行連隊名ではあるが、「五」の数字を入れたところに立川の飛五との関わりを思わずにはいられない。

この映画は1929(S4)年には制作が始まっていたと推定できる。当時の世相をみると、昭和3年に満州で張作霖爆殺事件、翌4年の10月にニューヨークの株式大暴落から世界恐慌が起こり、昭和5年にはロンドン海軍軍縮会議と条約調印及び統帥権干犯問題、そして映画公開の翌年には満州事変が始まっている。

映画の後半は戦闘シーンで占められているが、題名から受ける印象とは違い、全体の基調は後の戦時国策映画にあるような戦意高揚一色ではない。
出征する息子の身を案じる父母の姿は、木下恵介監督の『陸軍』(昭和19年)につながっている。田中絹代は『進軍』でヒロイン役を、そして15年後の『陸軍』では、母親役としてラストの名シーン(特に最後12分間)を演じることになった。
原作はアメリカ人 James Boyd。監督の牛原の履歴も興味深い。

参考
『立川飛行場物語』 三田鶴吉(既出)
『進軍』 昭和5年 松竹蒲田撮影所10周年記念作品 (DVD有り)
『陸軍』 監督木下恵介 昭和19年 (DVD有り)

 

|

« コメントへの対応 | トップページ | 将校集会所(2)~ 飛五の機種改編 ~ »

Ⅹ 陸軍飛行第五戦隊」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« コメントへの対応 | トップページ | 将校集会所(2)~ 飛五の機種改編 ~ »