満蒙開拓青少年義勇軍(2)
田中中隊長の日記をもとに、叔父の行動を追ってみる。
1944(S19)年
3.13 故郷(郡上)から岐阜市へ集合(東・西本願寺別院)。
14 岐阜の伊奈波神社で結団式。さらに県庁で知事の激励。
凱旋道路(今の平和通り)を行進して岐阜駅へ。
15 茨城県東茨城郡赤塚駅到着。
内原訓練所河和田分所の「日輪宿舎」に入る。
16 入所式。弥栄広場で加藤完治所長から訓示。
4.12 馬鈴薯の芽植などの農事訓練始まる。
5. 7 渡満のため河和田分所・内原駅を早朝出発。
(午前?)8時10分名古屋駅停車。約8分家族と面会。
8 朝、広島県西条訓練所に入所
13 西条を発ち下関到着
14 下関港発。ソ連の機雷流るとの情報のため警戒。
8時間かけて釜山港着。特別列車で満洲へ向かう。
16 奉天駅途中下車。奉天神社参拝。午後出発。
17 ハルピン(哈爾浜)駅着。哈爾浜訓練所入所。
14歳の叔父は、郡上を発って茨木県の内原で訓練を受け、2か月後に内原から広島の西条経由で下関に向かった。途中、名古屋駅停車時に8分間家族との面会があったと記されているが、叔父が家族と会ったかどうかはわからない。5月だから農繁期かもしれないし、実家に男手は祖父しかいなかったから多分家族の見送りは無かったであろう。
満州に入り、奉天に寄ってからハルピン(哈爾浜)で再度訓練を受けたことがわかる。
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※この記事については、前回に続いてまだ2回目ではあるがいったんここで中断し、折を見て再開することにします。