コメントについて
(再掲)
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コメントしていただいた多くの方の希望もあり、コメントすべてを基本的に「非公開」にしてあります。コメント欄については、当分こうした取り扱いを続けていこうかと思っております。
ただしメールアドレスを記入していただいた方には、すべてではありませんが、個々に返信メールをお送りしております。
今後ともよろしくお願いします。
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参考文献については、今回でひとまずの区切りとします。
父が初年兵時に所属した「第26師団工兵第26連隊」に関するもの(ブログでもその連隊史を載せました)、父の実家を焼いた「岐阜空襲」に関するものを載せておきます。
●第26師団・工兵第26連隊等について
ブログ記事で挙げたものも含みます。
「戦史叢書」捷号陸軍作戦(1) 防衛庁防衛研究所戦史室 朝雲新聞社
「『戦訓報』集成」 第2巻 戦訓特報第40号復刻版 芙蓉書房出版
「戦況手簿」参謀本部第2課 昭和19年11月 アジ歴より
「レイテ戦記」大岡昇平 中公文庫 1974年
「ダナオ湖まで」『凍った炎』所収 大岡昇平 講談社文庫 1980年
「レイテ島カンギポットに散華せし父を偲ぶ」重松正一 2000年 非売品
「ああレイテの墓標 泉慰霊巡拜団の記録とある遺族の思い出」
後藤正男 昭和54年 非売品
なお、第26師団に関連した小説として、よく知られた「野火」 (大岡昇平 新潮文庫 1954年)があります。大岡は上掲の「ダナオ湖まで」のなかで、「野火」の主人公は第26師団所属の兵士として仮定したと述べていますが、他方「レイテ戦記」は、その執筆動機のひとつが、第26師団の闘いぶりを明らかにし、再評価するためだったとも述べています。
●岐阜空襲、B29及び飛行第五戦隊について
以下は岐阜空襲について記した記事にも載せてあり、重複しているものが大半です。それにしても岐阜空襲で敵機を迎撃した日本機は飛行第五戦隊機だったと断定してよいのかどうか、今もって不明です。
'List of XX/XXI Bomber Command Tactical Mission Reports'
米航空群第20/21爆撃集団作戦任務報告書目録 (作戦番号260)
21st-Bomber-Command-Tactical-Mission-Report
Resume-20th-Air-Force-Missions
[Webサイト:B29搭乗員の戦友会HPなど]
20th Air Force
B29 SUPERFORTRESS THEN AND NOW
39th Bomb Group ・・・Rowland E.Ball の岐阜空襲回想記がある。
330th Bomb Group Guam 1944-1945・・・Smisek機長の子息のサイト
*Smisek機長について
Masako and Spam Musubi のブログ記事 2004年のなかにある
The Firebombing of Tokyo には、Smisek 父子のことが詳細に
取り上げられている(とくにPart 1 とEpilogue 参照)。
「B-29操縦マニュアル」米陸軍航空隊 仲村明子 他訳 光人社 1999年
「世界の傑作機No.52 ボーイングB-29」 文林堂 1995年
「新版 岐阜も「戦場」だった」 岐阜市平和資料室友の会 2015年
「岐阜空襲を記録する会~2015」[Webサイト]
「写真集「岐阜空襲の記録」」
制作 岐阜空襲を記録する会:篠崎喜樹 美江寺観音:加藤弘春
「日本空襲デジタルアーカイブ(Japan Air Raids.org)」[Webサイト]
「なぜ都市が空襲されたのか」永沢道雄 光人社NF文庫 2014年
「稿本 各務原高射砲隊顛末記 上中下」 下信行 非売品 平成3年
「東京大空襲」E・バートレッド・カー著 大谷勲訳 光人社NF文庫 2001年
「坂下小史」平成3年/「坂下町史」平成17年
「坂下の空襲 さかしたの昔話」(森保著 1989年)
「激戦の空に生きて(飛行第5戦隊)」伊藤藤太郎 石人社 1977年
「双発戦闘機 屠龍」 渡辺洋二 文春文庫 2008年
「東海の翼 五式戦 B29迎撃記」 伊藤藤太郎
『「飛燕」戦闘機隊出撃せよ』所収 「丸」編集部 編 平成13年
「世界の傑作機No.21 陸軍2式複座戦闘機 屠龍」 文林堂 1990年
「世界の傑作機No.23 陸軍五式戦闘機」 文林堂 1990年
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今回は、船舶、艦船等に関する文献です。
●陸軍特殊船「摩耶山丸」、輸送船「大日丸」について
「アジ歴」以外に、戦歴も含めた概要を知るために以下の文献を参照しましたが、これ以外にも多くの方が雑誌(模型関連)などで言及されています。ただし父と関わりの深い大発などの陸軍の舟艇に関するものは省略します。
「戦前船舶 第102号」 戦前船舶研究会編集部 2000年
「揚陸艦艇入門」 大内健二 光人社NF文庫 2013年
「戦時輸送船団史」駒宮真七郎 出版協同社 1987年
「商船三井船隊史 1884-2009」野間恒 編 商船三井株式会社 2009年
「商船が語る太平洋戦争」野間恒 編 商船三井株式会社 2002年
「船舶太平洋戦争」三岡健次郎 原書房 1983年
「陸軍船舶戦争」松原茂生/遠藤 昭 戦誌刊行会 平成8年
「戦没した船と海員の資料館(日本海員組合)」 [Webサイト含む]
「捕虜輸送船の悲劇」大内健二 光人社NF文庫 2014年
●英軍潜水艦 Spiteful について
この潜水艦は、マラッカ海峡で父の乗った機帆船に対して2日間にわたり魚雷攻撃、艦砲射撃をしました。当初、uboat.net でパトロールレポートの概略を把握し公文書館から正式な文書①の写しを取り寄せました。
艦長の回想記②は当初私家版だったとのことで、艦長の死後正式に出版されました。子息が編集に携わったものです。
① Spiteful のパトロール・レポート
HMS Spiteful " Patrol Report" ADM 199/1870 英国国立公文書館蔵
② Frederick H. Sherwood with Philip Sherwood
"It's Not the Ships... My War Years" lifewriters.ca 2014
●陸軍の水上特攻艇(四式肉迫艇 いわゆる㋹もしくは㋩)について
マレー半島で編成され、父の連隊からもその要員が派遣された連絡艇(特攻艇)隊については、下記の文献のなかで益田氏のものに少し触れられている程度で、その他の書籍には残念ながら一行も触れられていません。外地で編成された部隊だったからなのでしょうか。しかし「アジ歴」や「戦史叢書」では「櫻作戦」と名付けられたこの武隊への命令書等の詳細を知ることができますし、船工10の戦友会誌でも幾つかの回想記や編成に関する記録が残っています。
「戦史叢書」 (南西方面陸軍作戦マレー・蘭印の防衛)
「㋹の戦史」 陸軍水上特攻隊の記録 (改訂・増補版)
平成19年(旧版昭和47年)
「還らざる特攻艇」 益田善雄 霞出版社 昭和31年初版
昭和63年と平成17年に改訂版
「陸海軍水上特攻部隊全史」 奥本剛 潮書房光人社 2013年
「日本特攻艇戦史」 木俣滋郎 光人社 1998年
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今回は、引揚・復員、広島・宇品等に関する文献を挙げます。
●引揚・復員及び南方圏の抑留について
① 「海外引揚関係史料集成(国内篇)」
第6巻 局史(宇品引揚援護局)
加藤聖文 編 2004年 ゆまに書房
父が帰還船だった英軍病院船の名前も確認できた文献。当時の
援護局の様子もわかり、私にとっては重要な本となった。
② 「日本軍の捕虜政策」 内海愛子 2005年 青木書店
③ 「日本降伏後における南方軍の復員過程-1945年~1948年」増田弘
(東洋英和女学院大学現代史研究所紀要 )
雑誌 現代史研究第9号 2013年
父の帰還が遅れた背景を知ることができた文献。
④「復員・引揚げの研究」田中宏巳 新人物往来社 2010年
●広島、宇品、原爆について
⑤ 「広島原爆戦災誌」 第1巻(総説) 広島市 1971年
⑥ 「新修広島市史」 第2巻(政治史編) 広島市 1958年
⑦ 「加害基地 宇品」 空辰男 1994年 汐文社
⑧ 「宇品線 92年の軌跡」 RM LIBRARY 155 長船友則
NEKO PUBLISHING 2012年
⑨ 「ヒロシマの被爆建造物は語る -未来への記録 被爆50周年-」
広島平和記念資料館編 1996年
⑩ 「ヒロシマをさがそう 原爆を見た建物 」
山下一也他 西田書店 2006年
⑪ 「放射線影響研究所要覧」 2014年7月改訂版(HP版)
⑫ 「放射線影響研究所のご案内」 2013年版(HP版)
⑬ 「三たび平和のために」
丸山眞男著作集第5巻(1950-1953)岩波書店 1995年
⑭ 「戦中備忘録」 丸山眞男 日本図書センター 1997年
⑮ 「丸山眞男と広島」 林 立雄 編 IPSHU 1998年
⑯ 「丸山眞男:24年目に語る被爆体験 1969年」
広島原爆資料館録音資料
⑰ Averill, A.Liebow
"Encounter with disaster A Medical Diary of Hiroshima, 1945."
Condensed from the original publication 1965
Yale Juournal of Biology and Medicine,
(PubMed Central(PMC) からダウンロード)
⑱ 「続 羊の歌」加藤周一 岩波新書 1968年
⑲ 「吾輩は猫ではない2 兵隊暮らしとピカドン」
江戸屋猫八 ポプラ社1983年
⑳ 「櫻隊全滅 ある劇団の原爆殉難記」 江津萩枝 未来社 1980年
㉑ 「仲みどり」を探す旅」 青木笙子 河出書房新社 2007年
㉒ 「ヒロシマはどう記録されたか」 小河原正己 朝日文庫 2014年
㉓ 「二○世紀の自画像」 加藤周一 ちくま新書 2005年
㉔ 「加藤周一 二十世紀を問う」 海老坂武 岩波新書 2013年
㉕ 「日米合同原爆調査関連年表」 市民研・低線量被爆研究会 2010年
㉖ 「NHKスペシャル 封印された原爆報告書」 2010年8月6日放送
㉗ 「原爆投下 黙殺された極秘情報」 松木秀文他 新潮文庫 2015年
㉘ 「広島市立大学 語学センター Newsletter 35号、36号」 2010年
『周一四方のまなび』 1 9月のヒロシマ;血の調査 大井健地
『周一四方のまなび』 2 10月の宇品;調査と隠蔽 大井健地
㉙ 「原爆と日本の医学」 飯島宗一
15年戦争と日本の医学医療研究会会誌 May,2001
㉚ 「比治山陸軍墓地 略誌」 広島比治山陸軍墓地奉賛会 平成19年版
㉛ 「空白の天気図 核と災害」 柳田邦男 文春文庫 2011年
㉜ 「陸軍墓地が語る日本の戦争」 小田康徳他 ミネルヴァ書房 2006年
父が戦時中(復員時も含め)2度滞在することになった広島・宇品のことは、回想記を編集する過程で最も関心をもったことでした。とりわけ陸軍の船舶司令部や船舶練習部のあった宇品地区の様子は現在大きく変貌し、その詳細を知ることは難しくなっています。それだけに、①や⑤などで当時の様子を若干でも知ることができたことは幸いでした。
さらに、ブログにはまだ詳しく掲載していませんが、宇品の船舶司令部にいた丸山眞男、同じく宇品で被爆した岡田六郎(江戸屋猫八)、比治山陸軍墓地の歴史などについても興味をもちました。これらについては編集した本には記したのですが、機会があればこのブログにも記載したいと思っています。
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今回は戦友会誌と所属連隊、作戦等に関する文献です。
●戦友会誌及び父の所属した連隊に関する文献
① 船舶工兵第10連隊の戦友会誌
⑴ 「暁 -船舶工兵第十聯隊200人の實證- 暁第9422部隊」全8巻
⑵ 「暁 戦友会誌」1~40号(ただし、1~12号は合本)
⑶ 「戦友往来 暁」1~10号
これらのうち幾つかは、国立国会図書館、奈良県立図書情報館、
靖國神社靖國偕行文庫に寄贈されている(ただし⑴~⑶すべて
がそれぞれの図書館に揃っているわけではない。
② 「智信仁の葉隠武士 横尾紋太郎追悼記」 島田雄一編 1999年
船舶工兵第10連隊最後の連隊長の追悼記本(私家版)
●父の所属連隊に関する作戦等についての文献
③ 「戦史叢書90 支那事変陸軍作戦⑶」 防衛庁防衛研修所 1975年
工兵第26連隊に関する作戦について
④ 「戦史叢書92 南西方面陸軍作戦」 防衛庁防衛研修所 1976年
船舶工兵第10連隊のアンダマン諸島方面への移駐作戦(1944年)
及び船工10からも要員が派遣された連絡艇隊の編成等について記
されている。
●その他
⑤ 「リババレー演芸史 想い出は星の如くに」
栗田まさみ 新泉社 1970年
父も派遣されたシンガポールのリババレー収容所における
演芸場設営とその運営に関する回想記。父もこの演芸場設
営に関わった。
⑥ 「兵士たちの戦後史」吉田 裕 岩波書店 2011年
船舶工兵第10連隊の戦友会誌の記述にも言及しているが、戦後の
社会を生きた兵士たちの心情や戦友会のあり方について考えさせ
られる。
①の各冊子は船工10所属の将兵の寄稿が中心ですが、他部隊に転じた人たちや、かつて所属した中国大陸での部隊に関することも含めて幅広い内容をもったものになっています。かなり長期にわたって編集され発刊された戦友会誌であり、その質・量ともに他の戦友会誌に比べても劣らないものと思います。
とりわけ敗戦後の収容所生活についても多くの回想記が寄せられ、英連邦軍管轄下の抑留者の実態を知るうえで貴重な記録になっていますが、その背景にはこの連隊が大きな作戦の犠牲にならず、帰還者が多くいたことも幸いしたものと考えられます。それにしても戦後彼らが体験を語り、記録し始めたのは、1980年代になってからであり、多くは60代になってからでした。それでもかなりの復員兵は戦後沈黙を守ったままだったのです。事実この戦友会誌に寄稿した人たちも大半が士官クラスや下士官であった方が多く、在隊期間の短かかった多くの兵士の方は戦友会にも出ていなかったのです。沈黙した兵士についても目を向ける必要がありそうです。
なお⑥には船工10の戦友会誌からも引用があり、それだけに身近に感じた文献のひとつになりましたが、これについてはあらためて感想を書きたいと思います。
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父の従軍記を編集するために参照、問合せなどをした図書館やWebサイト、さらに文献等について何回かに分けて列挙しておきます。なお通史や辞典類は省きます。
ついでに、これら図書館や文献について簡単な感想なども書き加えておきます。
今回は主な図書館やWebサイトを取り上げます。
●利用の多かった図書館・資料館等
広島県立図書館/奈良県立図書情報館(戦争体験文庫)/
靖國偕行文庫/岐阜県図書館/岐阜市図書館/愛知大学図書館/
国会図書館/防衛研究所(防衛省)/岐阜市平和資料室(JR岐阜駅)/
戦没した船と海員の資料館(神戸)/しょうけい館/ピースあいち/
平和祈念資料展示館/
とくに奈良県立図書情報館に設けられた戦争体験文庫には貴重な資料が多くあります。全国から寄せられた雑誌、戦友会誌、部隊史などは、ここでしか見られないものがあり、何度も通うことになりました。今でも年に数回訪れます。
防衛研究所(史料閲覧室)は以前目黒区にありましたが、今は市ヶ谷に移っています。『戦史叢書』で使われた史料などを確認するために利用しました。
父の記憶にあった船舶・艦船は、その大半が沈んでいます。とくに輸送船などの船舶については、そのWebサイトも含め「戦没した船と海員の資料館」を見ると、あらためて「船舶戦争」だったことの意味を考えさせられます。
●利用した主なWebサイト(URLは省略)
①アジア歴史資料センター(アジ歴)/
②オーストラリア戦争博物館(Australian War Memorial)/
③英国国立公文書館(The National Archives )/
④帝国戦争博物館(Imperial War Museum)/
⑤国土地理院地図・空中写真閲覧サービス/
⑥日本空襲デジタルアーカイブ Japan Air Raids.org /
⑦岐阜空襲を記録する会/
⑧theshipslist.com/
⑨uboat.net /
⑩Roll of Honour(roll-of-honour.com )/
⑪British Pathé/
⑫20th Air Force/
⑬B29 SUPERFORTRESS THEN AND NOW/
⑭39th Bomb Group/
⑮330th Bomb Group Guam 1944-1945/
父の軍歴のうちマレーやスマトラ、シンガポールに関するものは、②と④のサイトが参考になりました。とくに映像資料は豊富です。②では、とくに宇品引揚援護局に関係する写真や動画を見ることができました。西日本の占領業務を担ったのが英連邦軍だったため、オーストラリア軍関連の記録に広島・宇品に関するものが多く残されていました。
④⑨には、父の乗った船を2度にわたって攻撃した英軍潜水艦に関する映像や記録があり、③はその潜水艦のパトロールレポートを取り寄せるために利用しました。そして④⑩⑪では復員船だった英軍病院船の船歴や映像を確認できました。
⑥では、岐阜空襲を行ったB29所属部隊の記録、⑫~⑮はその部隊の戦友会等に関する資料や回想記などを見ることができました。
次回からは、参照した文献について順次掲載します。
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Ⅰ はじめに Ⅱ 志願 Ⅲ 大陸 Ⅳ 船舶工兵 Ⅴ シンガポール・ベラワン Ⅵ マラッカ海峡 Ⅶ 降伏 Ⅷ 復員 Ⅸ 編集後記 Ⅹ 陸軍飛行第五戦隊 参考文献 岐阜空襲 工兵第26連隊 満蒙開拓青少年義勇軍