馬の尿する枕もと①
旧有路家住宅(『おくのほそ道』の「封人の家」といわれている)
(山形県最上郡最上町堺田)20231017
昨年秋のみちのく独り旅。
『おくのほそ道』で名の知れた所をいくつか見て回ったなかで、今も印象に残った事柄をすこしメモしておきます。
蚤虱馬の尿する枕もと
この句は、中尊寺を見たあと芭蕉と曾良が仙台領の「尿前(しとまえ)の関」を越えて出羽(山形県)の尾花沢へと向かう途上、「封人の家を見かけて」宿りを求め、「よしなき山中に逗留」したときに詠んだとされています。
本州東側の太平洋と西側の日本海それぞれへ水が別れゆく分水嶺ともいうべきか、『おくのほそ道』の芭蕉の旅は中尊寺を大きな分岐点として、以後文学的に新しい局面へ入ったといわれます。地理的にも現在その封人の家から歩いてすぐの所(陸羽東線堺田駅前)に奥羽山脈の「大分水嶺」があるのです。
『ほそ道』は事実と異なる文学的創作・虚構による記述も多くあり、この句も旅のなかで作句されたものではなく後に挿入されたとする見方がありますが、それはともかく、自分がこれまでもっていたこの句の印象といえば、ふたりが鄙びた山奥の家に泊まることになり、旅の悲哀や辛さを詠んだものだろう、というようなものでしかありませんでした。
ところが建物に入って屋敷の造りを眺め、管理人の方の詳しい説明を聞き、さらに地元の「最上中学校卒業生」が書いた句の説明パネルを読んでいるうちに、これまでの句の印象が変わり始めました。
その説明パネルの一部を引用します。
質素な中にもここに住む人々は、農作を生活の中心に懸命に生きていました。中でも芭蕉が心動かされたのが「人馬同居」の生活です。『馬の尿する枕もと』、まさにここに暮らす人々は馬をわが子のように大切に育てる。寝ている時も馬の尿が聞こえるほどそばに置いて、大事に育てていたのです。
最上町はかつて馬の産地でした。どれほど馬が生きていくうえで大切なものだったかが伺えます。江戸の暮らしからは想像もつかない生活。「質素な中でもこのように生活していけるものだ」「このような暮らしもいいものだ」と芭蕉は詠んだのです。
地元に住んでいるひとならではのこの句に寄せる愛着を感じますし、この地域の「人馬同居」の生活を背景にした句だという説明にも納得したのです。やはり現地に来てよかったと思いました(ただしこの現存する封人の家がほんとうに芭蕉が泊まった家なのかどうかについては次回の記事に回します)。
ちなみにこの地域は、江戸時代に「小国駒」といわれる名馬の産地であり、明治になっても軍馬の購買地に指定されるなど山形県内唯一の馬産地だったそうです。ここからさらに北へ足を伸ばすと、古来馬産地としてあまりにも有名な南部藩(青森・岩手)へと連なりますし、これらの地域にある人馬同居の「曲屋」(曲り家)のことも何かの本で読んだことがありました。
さらに思い出すのは柳田國男の『遠野物語』に紹介されている「オシラサマ伝説」です。娘が馬と恋に陥り夫婦になってしまうという異類婚姻譚だったと思いますが、人間と馬が強い絆で結ばれ、家族同様に暮らす地域ならではの話だと思います。
もう少し続けます。②へ
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