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2024年4月 5日 (金)

花山天皇の出家

西国三十三所観音霊場巡礼(番外)のことなど

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 番外 華頂山「元慶寺」 京都市山科区 20240111

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 番外 東光山「花山院菩提寺」 兵庫県三田市尼寺 20240227

テレビドラマではすでに政治の表舞台(のちに「長徳の変」では再登場するだろうが)を降りた花山天皇。

その衝撃的な出家の顛末は、高校の古典の教科書に取り上げられたり落語の噺にもなっているので、むかしからその名は知られているが、むしろ退位後に巡礼・修行し、西国巡礼の再興者として名を残した人物としてひとびとに長く慕われることになった。「王座を蓮座にかえて一念を全うされた院は、やはり希にみる幸福な人間」(『西国巡礼』)と白洲正子が記していることに一応頷いてはみる。
頷くのだけれども、ほんとうのところはどうだったのだろうか。

その出家の舞台となった京都山科の「元慶寺」、晩年を暮らした播磨の「花山院菩提寺」などは今も参拝者が絶えない。どちらも花山法皇が再興した「西国三十三所観音霊場巡礼」ではあくまで「番外札所」ではあるが、むかしは三十三所巡りの途上あるいは出発地として巡礼者が足を向けた特別な霊場であったともいわれている

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 元慶寺本堂 20240111

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 花山院菩提寺[花山法皇殿]20240227

その西国巡礼地。たしかに若い頃から仕事の関係で寺社巡りはしていたものの、信心のひとかけらもない自分としてはことさら「三十三所」の寺院をとくに意識することはなかった。けれども父母が報土に赴いたころから、しぜんに選んで西国霊場へ行く機会が増えていった。それは十五、六年前ぐらいからのことで、とくに昨年夏以降は時間を見つけて霊場のある関西方面へ出向くことが多くなった。
最近これらの番外の寺を訪れたが、とくに「花山院菩提寺」から眺める景色は格別のものがあり、御詠歌にもある有馬富士、六甲山、さらに西に目を向けると微かに瀬戸内の小豆島の島影も認めることができる。
法皇を慕って京からこの地まで来たといわれる尼たちは、女人禁制の寺へ行くこともできず、「琴弾坂」といわれるようになった参道(山道)の途上で琴を弾くなどして法皇を慰めたとの伝承がある。麓の山里には出家のきっかけといわれる弘徽殿の女御・藤原忯子の五輪塔と共に11人の女官たちも眠っており、その里の名は今も「尼寺(にんじ)」といわれ
ている。
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 「花山院菩提寺」の廟所(宝篋印塔)兵庫県三田市尼寺 20240227
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 寺務所から見る有馬富士(奥は六甲山)20240227
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 麓の尼寺(にんじ)地区にある「十二妃の墓」20240227

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