熊野三山(1)
羽黒山の参道・杉並木 20231016
昨年の秋10月に『おくのほそ道』を辿る「みちのく」ひとり旅の時のこと。
山形の出羽三山(といっても足で登ったのは羽黒山のみ)へ行ったとき、麓の「いでは文化記念館」の展示で初めて知ったことがありました。それは修験道と山伏の勢力範囲のことです。
それによると三十三ケ国が「羽黒山」の支配、残り三十三ケ国のうち二十四ケ国が「熊野三山」、残り九ケ国(九州)は「英彦山(ひこさん)」が支配するとされていたのです。「羽黒山」による最西の勢力圏は、今の京都府のうち丹後と丹波、さらに滋賀県、三重県まで及んでおり、羽黒山の影響力の大きさを物語っていました。
帰ってからもそれが頭に残っていて、ひさしぶりに「熊野三山」へも行ったのが11月末のことでした。
むかしは伊勢道から南へは自動車道がまだ十分整備されていなかったのですが、今は紀勢自動車道や熊野尾鷲道路(熊野大泊まで)などのおかげで大幅に移動時間が短縮されてかなり便利になっていました。
初日朝早く出て、一気に本州最南端の潮岬(串本町)へ。
ここで思いがけず「近大マグロ丼」に出会いました。そういえば岬の東隣紀伊大島に近大の養殖場があったのでした。
その食堂のカウンター席から熊野灘・太平洋をながめながら、20年以上前に本州最西端の「犬吠埼」へ行ったことを思い出していました。
潮岬 20231128
さて「熊野三山」。
昼には潮岬から新宮市まで北上。
まず「熊野速玉大社」なのですが、行く前に神倉山の摂社「神倉神社」を先に訪ねました。
つまり「熊野古道」の第一歩ということになります。
鳥居を前にして、いきなり参拝を絶望させる壁のような参道が待ち構えていて、これではまるでロッククライミングをしているかのような「登山」です。学生時代に行った「蓼科山」山頂近くのガレ場を思い出してしまいます。
毎日参拝するという地元の年配の方に励まされながら、急峻五百数十段をなんとか登り切り、ゴトビキ岩へ到達。
登ればそこは絶景。新宮市内と熊野灘を一望できました。
霊力を感じさせるゴトビキ岩。
熊野三山に祀られている熊野権現は、この神倉山にまず降臨したという伝承があって、熊野速玉大社は、だから新宮といわれるようになったとか。
登り口近くには「神倉小学校」があって、神倉神社を訪れた宮崎駿が木造の体育館の姿にいたく感動し、その足で学校を訪問し見学をしたという話はよく知られています。
新宮市立神倉小学校体育館 20231128