軍歴 その2 「東南アジア」
1943(S18)年 21歳
6 (?) シンガポール上陸後、チャンギー地区に駐留
偶然、ビルマへ移動中の親族と面会
連隊から船舶工兵第12連隊の基幹部隊として
一個中隊が転出し、ラバウルへ
8. 3 スマトラ島北部の「ベラワン」へ移駐
10. 1 機雷掃海のため「パレンバン」へ出張
11.25 ベラワンに帰隊
12. 1 陸軍軍曹
1944(S19)年 22歳
6.28 アンダマン諸島への移駐作戦のためベラワンを出港
29 英軍潜水艦(Spiteful)が船団の父の乗る機帆船に
3発の魚雷攻撃
30 同潜水艦が浮上して同じ機帆船に艦砲射撃
(友軍機雷撃するも潜航退避)
8.31 連隊主力はアンダマンへの移駐を断念
マレー半島の「ポートセッテンハム」に移駐
11.1 現地徴兵初年兵教育の助教(2度目)
12.16 レイテ島で工兵第26連隊全滅
(456名戦死・生存1名?)
1945(S20)年 23歳
2.16 二度目となる初年兵教育終了
7.9 B-29による岐阜夜間空襲(実家焼失)
8.15 「大東亜戦争終結の詔書」 連合国軍に降伏
現地ゲリラが連隊の三宅偵察隊を襲撃(13名戦死)
9.15 「クアラルンプール」へ移動
「タンジュンマリム」へ移動
「クアラクブ」へ移動(武装解除)
「ラヤンラヤン」へ移動し、連隊単独で自活生活
12.1 陸軍曹長
1946(S21)年 24歳
3.10 シンガポールの「リババレー作業隊(収容所)」へ派遣
主に港湾土木作業、衛生材料整理などの作業に従事
この間、作業隊内に演芸場設営
7.26 シンガポール中部の「ニースン日本人病院」第二衛材科
へ派遣。ここでも演芸場設営
1947(S22)年 25歳
1.7 病院患者の内地移送のため英軍病院船 Oxfordshire に
患者付添者として乗船(主に炊事係)
1.20 広島・宇品港に上陸(史料では19日に病院船着とある)
宇品引揚援護局で検疫及び復員手続き
1.23 岐阜の実家で復員完結(25歳誕生日)